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2006年5月15日

《大女将便り》平泉藤原まつりに当館会長が参加

無事大役を果たす事ができました
ご声援ありがとうございました

前回のお便りでお知らせした平泉町の一大イベント春の藤原まつり『源義経公東下り』も桜花爛漫のもと晴天にも恵まれ上首尾に終わりました。

それにつけても平泉の歴史絵巻を継承すべく平泉町観光課、平泉町観光協会の皆々様の熱意に感激致しました。現在の文化遺産が、世界遺産への登録が間違い無く早々に決定されると思います。平泉町のみでなく広域観光連携の町、気仙沼からも心より応援したいと思います。

 追記
 緋縅(ひおどし)の鎧をつけて太刀佩きて見ばやとぞ思う山櫻花
                      落合 直文

出演に際し、沢山のお客様からお励ましのお電話、メールなどをいただきました。本当にありがとうございました。無事大役を果たしほっとしております。

以下写真を掲載しながら皆々様にご紹介致したいと思います。
平泉藤原祭り
古式ゆかしいねぎらいの場の様子です
雅な行列がいつまでも続きました

《参考》源義経公東下り
源義経公東下り
開催日;5月3日(祝・水)

源義経公(九郎判官)牛若丸が、金売吉次に従って、みちのくの王者秀衡公のもとに身を寄せたのは16歳のときでした。平泉は、この不遇の才子を慰める好適の地であったようです。

義経が22歳のとき(治水四年)、兄頼朝が源氏再興の兵をあげるや、馳せ参じて軍陣を指揮。寿永三年、木曽義仲を討ち、一ノ谷に平氏の陣を頭上から攻め、翌文治元年には屋島そして壇ノ浦と連戦連勝。義経の名は一躍高まったのでした。しかし、頼朝は大攻を立てた弟の存在に脅威を抱き、津々浦々まで義経追捕の手がまわされました。

義経主従は、野に伏し山に隠れ安宅ノ関を過ぎて再びこの平泉にたどりついたのです。父とも頼む秀衡公は、悲境の義経をあたたかく迎え、街中が興奮のるつぼと化したと伝えられています。「源義経公東下り絵巻」を今に再現する本行列は、平泉・春の藤原まつり恒例の、全国に知られた催事です。

義経公役 俳優 賀集 利樹(かしゅう としき)さん

秀衡役 宮城県 松島町町長 内田 鉄夫(うちだ てつお)さん

高衡役 当ホテル社長 村上 四郎(むらかみ しろう)

北の方役  IBC岩手放送アナウンサー 貞平 麻衣子(さだひら まいこ)さん

源義経公東下り行列
 藤原秀衡公出迎行列…午前10時 中尊寺坂下出発
 義経公ねぎらいの場再現…午後0時40分 毛越寺大泉が池
 源義経公東下り行列…午後1時30分 毛越寺出発
 金色堂奉拝…午後3時20分 中尊寺金色堂

(お問い合せ)
平泉町観光協会 0191-46-2110
平泉町役場農林商工観光課 0191-46-5572

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